「くずし工芸」毎日を豊かにする至極のマグカップ|岐阜・飛騨|中西忠博さん
-藤井
生い立ちみたいなところを聞いてもいいですか?お生まれですね
-中西
生まれは、高山で生まれたんですけど、父親の仕事の関係で、ずっと他所にいたんです。最初、福岡にいたり大阪にいたり東京にいたりって、父親の仕事が転勤が多かったもんですから、それについて回っていて、中学生の頃に高山に帰ってきたんです。
それから中学高校と、高山にいて、そこから京都へ弟子入りに行ったんです。
-藤井
高校卒業されてすぐに弟子入りみたいな感じですか?
-中西
そうですね。高校を卒業して陶芸の学校に行ってきたんですけど、ほとんど遊んでるようなもんで、大した勉強もできなかったんです。
これではとてもじゃないけど陶芸の仕事はできないかなっていうときに、弟子入りのお話をいただいて、京都に行ったんです。
-藤井
中西さんが陶芸に出会ったのっていつなんですか?なぜ陶芸家になろうと思ったんですか?
-中西
うちの父親は会社員だったんですけど、高山で、うちの母親1人がこっちに両親の面倒見に帰ってきたんです。そのときにちょっとやることがあった方がいいだろうということで、飛騨の陶器の店を始めたんです。飛騨高山には元々渋草焼き、こいた焼き、山田焼きという窯元があったんですけど、そこのものをメインに扱う、焼き物の店をはじめたんです。
-藤井
ご両親が器とか陶器の焼き物が好きだったんですか?
-中西
そういうものが好きで、うちの父が好きだったんだと思うんですけど、僕自身は、元々は建築家になりたくて、設計士になりたかったんですけど、どうもセンスがないということで、物作りがやっぱり好きだったもんですから、その家でそういうことを始めたのもきっかけになって、焼き物も面白いかなっていうところから、陶芸を始めたのが始まりです。
-藤井
少年時代に若干興味を持ち始めて、何歳ぐらいのタイミングですか?
-中西
それはもう高校生の頃に焼き物屋を始めたんです。
-藤井
結構多感な時期ですから、あんまり興味をもたない気もしたんですけど
-中西
物を作る仕事で、飛騨自体が木工が盛んで、木工家を志す人がやっぱり多いんですけど自分は家でそういうことを始めたもんですから、建築もどうかなっていうところがあって、安直なんですけど、焼き物に進んだっていうことです。
-藤井
弟子入りされることになると思うんですけど、弟子入り先を見つけてきたのは、お父さんですか?
-中西
そうではなくて、渋草焼きっていう高山の伝統的な窯元があるんですけど、そこの6代目の方が画商さんとの付き合いの中で、京都の作家さんがお弟子さんを欲しがっているということで、声をかけてくれたんです。いいところだから行きなさいと言われたので、言ったわけなんです。
-藤井
中西少年のそのときの気持ちは?
-中西
もう少年ではなかったんですけど、20歳です。20歳の時に弟子入りをしたので、飛弾のそういう窯元のちゃんとした作家さんなんですけど、そういう方が行った方がいいよって、すすめてくださるので、それなら行かせてもらうかということで、行ったのがきっかけです。
-藤井
そのときの気持ちって、いきなり長くいた高山から京都に行くわけじゃないですか。最初京都だったんですか?
-中西
最初に京都で1年ぐらいいたんです。
-藤井
出発する前に、俺どうなるのかなみたいな、こうなって帰ってこようとか、そういう目標とかあったんですか?
-中西
自分の中でそういう具体的なイメージはなかったんですけど、周りがすすめてくれるし、将来、焼き物の仕事をやるんであれば、学校で習ってきただけでは、とてもじゃないけど通用しないのであろうという思いもあって、そういうしっかりしたところで勉強してくれば、なんとかなるんじゃないかというところがあったんです。それで行くことにしたんです。
-藤井
行ってみて、そこからどんな生活が始まるんですか?
-中西
そこから、やはり弟子入りを甘く考えていたところもあって、普通の20才の若い人とは違う世界です。仕事場に住み込みで働いて食事を作ったり、何しろそういう草刈りから何から全部やらなければならないので、大変な部分もありました。
-藤井
弟子入りされた師匠さんはどんな人なんですか?
-中西
先生は広島出身なんですけど京都の今、日展系の作家さんだったんです。象嵌祭というんですが、1回この生地を掘り込んで、その中に別の粘土を埋めて、それを絵柄にするような技法の第一人者の方だったんです。今井雅之先生っていうんですが、そういう先生に、弟子入りをしたということです。
-藤井
当時のお弟子さんは何人ぐらいだったんですか?
-中西
私が入ったときに先輩が3人いたんです。1人はかなり年配の方で、40歳だったかな、僕の20歳上だったんです。10歳年上の先輩が2人いたんです。先輩に習いながら、生活を始めたんですけど、2年ぐらいでみんな辞めてしまったんです。皆さん独立、もう長く見えたので6年7年、弟子をもう卒業していく時期だったので、2年経った頃に僕が一番上になっちゃったんです。
今度は下の子が入ってきたんです。
-藤井
でも弟子が欲しいって言われて入ったわけで、扱いとしてはすごく丁寧にというか、歓迎されて入ったという感じなんですか?
-中西
あんまり詳しいことは言えないんですけど、なかなか厳しいところなので、実際現場に出す人しかわからないところはありますけど、立派な先生ですから、相当厳しいところはありましたけど、具体的なことは言えないですけど、やっぱり20歳まで親元で楽に暮らしていた普通の若者にとっては、すごい世界です。
-藤井
具体的にそのお弟子さんだった期間は何年ぐらいですか?
-中西
僕は短い方で5年半ぐらいだったんです。長い人は10年くらい弟子の期間を過ごした方もいるので、僕は早かったんです。6年まではいなかったので
-藤井
実際に作業って、どんなことをやるんですか?
-中西
弟子としては生活全般から、なにしろ工房の周りの掃除から、草刈りから何からっていうことも全部やりますし、陶芸の仕事としては主に先生の作陶のお手伝いです。それを先生からではなくて、先輩から習ってました。先生が直接ああだこうだって教えてはくれないので、先生のやることを見ていたり、先輩に教えてもらうようなことをしてました。
-藤井
そこから、5年ちょっと経って独立をされるという形になると思うんですが、独立なんですか?
-中西
いろんな方が見えるんですけど、ほとんどの人は自分で独立して作陶をしたいっていう思いで弟子入りする人が多いんです。最初、自分の中でその辺があやふやで、ここを出たらどうするんだろう?どういう方向性で焼き物に関わっていくんだろうっていうところはあやふやだったんですけど、やっぱりそういう中にいると、自然に独立したら自分も1人でやろうって思うようになってくるんです。やはり先輩もみんな独立して、自分で作家として活動し始めるので、自分も自然に独立したら、そうなっていくんだろうなっていうような思いで、独立はしたんです。
-藤井
独立する基準とかあるんですか?
-中西
本当のことで言えば、先生はまだまだ僕を勉強させないといかんと思ってたようですから、本当に10年ぐらい、あそこで勉強した方がいいんじゃないかなっていう気持ちがあったと思うんですけど、僕が早く辞めさせてもらったっていうところです。
-藤井
そこで独立されるってことになると思うんですけど、その後は、どんな作家人生を?
-中西
作家って言えるようなもんでもないんですけども、当初は、そういう勉強したところが、ある程度レベルの高い工芸作品であったり、アート作品を作る先生であったし、周りもそういう環境だったので、当初はそういうものを目指してたんです。こういう工芸作品の大きい作品を作って、展覧会に出してみたりとか、そういうこともしていたんですけど、独立して何年かして、さっきの薪の窯を作ったりして、そういう方向に進んでいければいいなという思いで活動はしていました。
-藤井
それがどう、徐々に変化していくんですか?
-中西
さっきの話にも通じるんですけど、アートとか工芸とか、芸術の世界で生きていける人っていうのはなかなか、本当に一握りで、自分が果たして、そういう世界で通用するかっていうことを、何年か独立した後に、そういう生活を続けて考えたときに、これはなかなか厳しいぞと、そういうアート作品や工芸作品を作って生活していくのが自分の能力でできるのかと考えたときに、これはなかなか厳しい。
例えば、薪の窯で、当初はお茶の道具とか抹茶茶碗とか、水差しであるとか、そういうものを作ってもいたんです。それがだんだんある程度値段の高いものがなかなか売れない時代になってきたんです。このままでは生活するのもなかなか大変になってきたし、工芸作家としても、自分がその世界でやっていけるのかと考えたときに、これはなかなか難しいんじゃないか。
焼き物に関わりながらやっていくことを考えると、とりあえず食器を作るにしても、何かに特化して製作してみようと思ったわけです。それが最初、取っ手の付いたコーヒーカップとかマグカップとか、そういうものだけを作ってみて、例えば「あの人ってカップ作ってる人だろ?」と言われるぐらいになれば、人に覚えてもらえるのではないかなという思いが最初あって、カップ作りを始めたんです。
-藤井
コーヒーカップ、いわゆる特化したものにこだわり始めて、何か変わってきましたか?お客さんの反応だったり生活だったりとか
-中西
そうですね。それをやり始めてから明らかに今までとは違う層のお客さんが反応してくれるようになって、自分が以前作っていた作品が、よくなかったのかもしれないけれども、明らかにより広い層にアピールできるようになったのは間違いないことです。それで少し面白くなってきたのは間違いないです。自分の作品を見てもらって「素敵だね」と言ってくれる人が増えたということがすごく嬉しかった。そういうところはあります
-藤井
お客さんの反応とかは、どういうところが「良いね」と言ってもらえましたか?
-中西
例えば、コーヒーカップとか、マグカップを使ってくれる人は焼き物に興味がある人じゃないんです。焼き物に興味がある人じゃない人に、焼き物としての魅力が伝わることが、自分の中ではすごく良かったことかな。例えば、焼き物の面白さがいろいろあるんですけど、釉薬一つにしても、いかに器の中に変化があるか、一つの作品の中でも表情がいろいろ変化する。例えば、極端な話100円ショップにあるものとかは一色じゃないですか。
真っ白、真っ青、そういうものではなく、焼き物としての面白さっていうものを伝えられるといいなと。そういう意味で何もそういうものに興味がない人にも伝えられたところがあるのかなと思います。
-藤井
今後、コーヒーカップとか、それ以外に作品を広めていきたいとかっていうのは、ありますか?
-中西
今、コーヒーカップとかカップ類がやり尽くしたところはあるので、これからは生活雑器全般、もう少し様々な形の鉢であったり皿であったり、そういうものをより使いやすく、デザイン性のあるものを作っていきたいなと思ってるんです。なかなか新しいものはできないです。
-藤井
自分の作品が、一番ここはいい、こだわっているところを教えてください。
-中西
実用陶器として使いやすい、持ったときの持ちやすさ、口当たり、あとは重心とかそういうことも考えて作ります。焼き物としての面白さ、釉薬の変化であったり、温かみです。量産陶器にはない、手作りの陶器の温かみみたいなものも伝えられればいいなと思っています。